これまでの成果

 加藤がこれまでに行った札幌博物場関連の研究成果をまとめています。所蔵資料を利用する際の留意点についても、発表内容に加えて提示してあります。

北大植物園所蔵ブラキストン標本の受入過程とその現状(2002)
 ブラキストン「標本」史(2012) 第1章 ブラキストン標本の変遷と現状として改訂
 トーマス・ブラキストンが採集した標本の歴史的検討は従来不十分でした。鳥類標本を歴史資料とみなし、付属する標本ラベルや関連史料から、標本採集情報や標本の移管経緯などの事実を再検討しました。

ブラキストンの鳥類標本ノートについて(2013)
 上記報告は博物場に現存する標本と日本に残されている関連史料のみから検討したものであり、標本情報の復元の上では十分とはいえませんでした。この報告では、ブラキストンが書き記し、最終的にスミソニアン協会自然史博物館に寄贈したノート類の検証から、標本情報の復元が可能であることをまとめました。

ブラキストン製作の標本ケースについて(2015)
 ブラキストンは、自身の標本を開拓使函館博物場に寄贈するにあたり、標本ケースを製作させ、そこに保存していたという記録があります。博物場ではブラキストン由来といわれる標本ケースで標本を管理してきました。この報告では、ケースの形状と貼り付けられているラベルの記載から、ブラキストンが製作させたケースであることを裏付けるとともに、ラベルがもつ意味について検討しました。

ブラキストンと札幌博物場(2005)
 ブラキストン「標本」史(2012) 第4章 ブラキストンと札幌博物場として改訂
 ブラキストンは「Birds of Japan」執筆にあたり、東京にあった二つの国立博物館、開拓使の博物場であった札幌博物場や札幌農学校に所蔵されていた標本の調査を行っていました。この報告では、各博物館とブラキストンとの関係を整理するとともに、ブラキストンが札幌博物場に寄贈したノガンの標本についての考察を行いました。

ブラキストン標本と絵画資料(2003)
 ブラキストン「標本」史(2012) 第2章 ブラキストン標本と鳥類図として改訂
 開拓使は東京芝に設置していた東京仮博物場において、北海道に生息する鳥類の博物画を展示する計画を立てました。鳥類図の制作にあたり、モデルとしてブラキストンから剥製を借用していたことが記録に残されていましたが、制作された鳥類図の行方は不明のままでした。札幌博物場に残されていた博物画の中に、ブラキストンが開拓使に貸し出した標本のリストに記載されている標本番号が書き込まれていることを見出し、一連の鳥類図がブラキストンの標本をモデルに制作されたものであることを明らかにしました。これにより、現存する標本の歴史を追加することができました。また、開拓使に貸し出された剥製は、のちに現在の東京国立博物館にも貸し出され、別系統の鳥類図が制作されました。改訂稿では、この件についても考察を加えています。

犬飼哲夫のブラキストン資料(2005)
 ブラキストン「標本」史(2012) 第3章 八田三郎・犬飼哲夫のブラキストン資料として改訂
 ブラキストンの伝記は、長い間犬飼哲夫が1932年にまとめたものがベースとなってきました。しかし、ブラキストン標本に付属するラベルの変遷や、残された文献の記載と犬飼による記述には矛盾が確認されました。犬飼が残したノートや資料類の整理の過程で、博物場に分散していたブラキストン標本を集約した八田三郎から犬飼に伝えられた資料を見出し、犬飼が記載した根拠を示すとともに、その内容に誤りがあることを裏付けました。

明治初期の「自然史」通詞 野口源之助 : ノグチゲラの名前の由来 (試論)(2006)
 ブラキストン「標本」史(2012) 第5章 明治初期の「自然史」通詞 野口源之助として改訂
 開拓使の通詞として、ブラキストンの標本の借用や寄贈受入れに関与した野口源之助という人物が存在していました。野口は、単なる通訳としてだけでなく、英軍の協力を得て政府が実施した沿岸測量や金星の太陽面通過調査の際に写真撮影という西洋技術を駆使して活躍しており、対応した西洋人から高く評価されていました。これらの背景情報から、ブラキストンと協力して「Birds of Japan」を執筆したプライヤーが採集し、新種として記載されたノグチゲラの発見に関与したとされる「Noguchi」という人物が野口源之助ではないか、という推論を行いました。今のところ、確たる証拠を見出しえていないので、今後も調査を継続する必要があると考えています。

Notes on a re-examination of type specimen of the Japanese House Martin (Chelidon blakistoni)日本産イワツバメ (Chelidon blakistoni) のタイプ標本再検討(2014)
 シマフクロウ(Bubo blakistoni)をはじめ、ブラキストンが採集した標本は日本産の新種記載に用いられていました。現在は有効名ではありませんが、スウィンホーによって1862年に記載された日本産のイワツバメもその一つです。しかし、当時はタイプ標本の指定という概念が薄かったため、どの標本を利用して記載が行われたのかが判然としていない場合があります。特に、ブラキストンの標本の多くには採集年の記載がないため、発表前に採集された標本であるのかどうかが明確になりません。この報告では、ブラキストンのノートを利用して各標本の採集年月日を確定し、スウィンホーが1862年までに利用することができた標本は、博物場に保管されている1点の標本以外にあり得ない、ということを示しました。従来は大英自然史博物館Tringに保管されている標本がタイプ標本として認識されていましたが、これは発表後に採集されたものであり、タイプ標本として扱われるべきではないことを確認しました。

札幌農学校所属博物館における鳥類標本管理史 (1) : 東京仮博物場から札幌農学校所属博物館初期まで(2009)
札幌農学校所属博物館における鳥類標本管理史(2) : 明治期の札幌農学校所属博物館(2010)
札幌農学校所属博物館における鳥類標本管理史(3) : 大正~昭和期の博物館
札幌農学校所属博物館における鳥類標本管理史(4) : 標本ラベルの変遷からみた管理史
 札幌博物場の鳥類標本コレクションは、日本国内でも有数の質・量を誇っています。しかしながら、スタッフの数や分野配置により、標本の「情報」管理が不十分だった時代が複数回あったと考えられます。このため、140年の歴史の中で複数の標本台帳や標本ラベルが利用され、台帳やラベル間での情報の混乱、また採集年次の解釈の混乱などの問題が散見されます。この問題を解決するために、現存する標本台帳の精査を行い、その利用年代や運用の経緯などを明らかにするとともに、それぞれの台帳に対応する標本ラベルを示しました。これにより、明確な根拠に基づいた標本情報の修正や追加することを可能としました。
 ただし、修正や追加すべき点が多く、問題点の提起と解決方法を示すにとどまっています。これらの報告に示した古い標本台帳の情報には誤りが多く含まれていますので、過去の分布の証拠として無批判に引用することには注意が必要です。

北大植物園・博物館所蔵アメリカ自然史博物館鳥類標本について(2004)
 博物場には、アメリカ由来の鳥類標本が多数保管されていましたが、同定が困難であったためか、長い間注目されないまま管理されていました。全ての標本を調査しなおし、これらが1900年前後にニューヨークのアメリカ自然史博物館との間で行われた標本交換によって送付された標本群であることを明らかにしました。ニューヨークに送られた博物場由来の標本の調査も行い、付属ラベルの傾向が把握できたことで、博物場における標本管理の歴史を明らかにする材料にもなりました。

標本ラベルからみた樺太動物調査鳥類標本について(2012)
 博物場初期のスタッフの一人であった村田荘次郎は鳥類標本コレクションの充実に貢献し、また標本台帳の整備など、博物館の基盤を構築した存在です。札幌農学校の助教授となった村田は、他の教官陣と同様に日露戦争後の1910年と1912年の2回にわたって樺太動物調査を行いました。彼が採集した樺太産の鳥類標本の一部には「樺太動物調査」の印字がありますが、同じ場所で採集されたと推測される標本には特徴のないラベルが付属しています。この報告では、標本群全体を調査し、調査時期によって利用していたラベルが異なっていたことを明らかにしました。印字などの特徴がないラベルであっても、村田による樺太動物調査の採集標本であることを示し、「名寄」など北海道産と誤認されてきた標本の採集情報を修正する根拠を得たことも本報告の成果です。

Hokkaido University Natural History Museum 所蔵ネズミ科標本の採集情報(2021)
 札幌博物場設立以降に採集されたネズミ科標本と、北海道大学農学部の旧応用動物学教室における研究の過程で採集されたネズミ科標本を中心に、関係する研究者の論文、著書やアーカイブを活用して付属する標本情報の復元や精査を行いました。従来はそれぞれの標本がどのような研究の過程で収集されたものであるのか、という情報が付属していませんでしたが、この結果により特定の研究の証拠標本であることを確定し、研究資源としての価値を向上させました。
折居彪二郎採集標本の歴史的検討(2001)
 未整理のまま保管されていた折居標本の整理の過程で、標本に付属するラベルと残された記録とを照合しながら、標本移管の過程などを推察しました。情報量が少ないため、全てが解明できたとは言えませんが、折居の特徴ある筆跡解読や残されたフィールドノートとの照合など、歴史研究者だからこそできる自然史標本へのアプローチ、という観点からみると以降の折居研究やブラキストン標本研究の基礎的な報告になっています。

折居彪二郎雲南鳥類写生図とその標本について(2007)
折居彪二郎雲南写生図とその標本について (補遺)(2008)
 折居の遺族から山階鳥類研究所に寄贈された雲南鳥類図のモデルとなった標本は関東大震災によってすべて焼失したと考えられていました(黒田 1972)。しかし、博物場の折居標本の中にわずかではありますが雲南採集標本が含まれていたことから、描かれている図と採集された標本との照合作業を行うために、折居の雲南採集ノートの調査を実施しました。結果として、折居の雲南調査の前期において採集された標本は、依頼者であるアラン・オーストンに送られ、英国のロスチャイルドコレクションとなり、その後ニューヨークアメリカ自然史博物館に所蔵されるようになったこと、後期の採集標本は、小林桂助の手を経て、震災前にハーバード大学の博物館に寄贈されていたことを明らかにしました。結果として鳥類図のモデルとなった標本の大部分は現存しており、またいくつかの種・亜種のタイプ標本ともなっていたことを明らかにしました。

大英自然史博物館他海外の博物館
北海道大学植物園・博物館が所蔵する折居彪二郎採集標本の概要について
折居彪二郎採集の標本を使用して記載された鳥類と哺乳類の種・亜種リスト(暫定版)(山階鳥類研究所平岡考氏と共著)
いずれも「鳥獣採集家 折居彪二郎採集日誌~鳥学・哺乳類学を支えた男~」(2013)所収
 折居彪二郎研究会のメンバーによって、折居の採集日誌が現代語訳され、1冊の本となりました。折居研究の一助となる標本の現状について整理しました。
北海道大学農学部博物館所蔵考古学資料 (1)(2001)
 博物場の考古資料は、明治初期に開拓使の開発行為や札幌農学校の調査によって収集された資料と、昭和初期の北海道考古学の黎明期にスタッフであった名取武光を中心とする研究者が収集した資料からなっています。資料の重要性と歴史の長さから様々な研究者や文献で利用されてきましたが、博物館における情報管理の問題もあり、引用者によって収集情報の内容が異なっている場合があります。頻繁に利用されてきたいくつかの考古資料について、それぞれの引用情報をまとめ、情報の混乱の現状を示した上で、明らかな誤りを含む情報の指摘、博物館に残されている情報の提示を行いました。

札幌農学校所属博物館の利尻礼文調査資料について(2011)
 利尻町の助成をうけて、博物場に保管されている利尻・礼文島に関連する資料をまとめた報告です。札幌農学校の博物場となってすぐの明治20年に、小寺甲子二によって両島で採集された考古資料、動物資料などが博物場の基礎資料となっていたことを明らかにして、資料の特徴を示しました。この結果、「二十年」とのみラベルに記載がある土器片を、昭和20年として管理してきた台帳管理の問題点が浮かび上がってきました。また、過去の動物相を把握するための材料としても利用していただいているようです。
  あわせて、昭和初期に名取武光・後藤寿一によって行われた考古調査に関わる遺物の全容と、撮影されたガラス乾板写真についても紹介しました。現地で写真の場所を確認して景観の変化を追ったことで、博物場の資料情報としてだけではなく、両島の歴史資料としても重要な資料であることを確認しました。

北海道大学植物園・博物館所蔵考古資料に付属する資料情報の課題~千島列島出土資料を中心に~(2016)
「千島列島出土考古資料目録」所収
  他の考古資料関連報告でも明らかなように、博物場の考古資料に付属する現在の標本台帳の情報には誤りが多数含まれていて、間違った収集地の情報が付属しているおそれがあります。また、収集地情報の注記が記号などで示されている場合、台帳登録時にそれらの情報が記載されていないおそれもあります。千島列島出土資料の目録を作成するにあたり、本来千島列島出土遺物であるにもかかわらず、台帳に情報が記載されていないために当該資料が目録から漏れてしまうことを避けるため、所蔵約15,000点の考古資料の悉皆調査を行い、注記やラベルの付属状況を確認しました。この結果により、千島列島出土遺物である可能性が高いもの、従来千島出土とされてきたが誤りである可能性が高いものを明らかにするための基礎情報がまとめられました。この調査により、他の地域で収集された遺物の注記の特徴も把握されたため、今後の調査に生かすことができます。

札幌農学校所属博物館のアイヌ民族資料(2004)
北海道大学植物園所蔵アイヌ民族資料について : 歴史的背景を中心に(2008)
 博物場所蔵アイヌ民族資料は、開拓使の博物場時代に収集された明治初期の資料群と昭和初期に名取武光・犬飼哲夫の研究活動で収集された資料群とからなります。このうち、明治初期の資料群は明治以前のより伝統的な技術などを含み、アイヌ文化、特に物質文化の歴史的背景を把握するうえで重要な資料といえます。しかし、資料群が明治期と昭和期の資料から成立しているため、いくつかの問題があります。
 博物場がお雇い外国人教師たちの影響を受けて設置されたこと、大学の研究資源として資料が保存されてきたことから、所蔵アイヌ民族資料群は日本国内で比較的収集に関わる情報が付属していると評価されています。しかし、民族、文化資料というものは、同時代に利用されていたもの、制作してもらったものを収集して資料とするため、その収集年、時期が自明なものとなります。このため、過去の博物場では民族資料にはその収集地の情報は記載されてきたものの、年代の記載はほとんどありません。博物館の資料台帳が昭和の後期に新たに運用されたため、明治期の資料と昭和期の資料とが混在することになり、収集年代が記載されていないために、当該資料が明治期のものであるのか否かが判断できなくなっていました。この問題を解決するために、民族資料に付属するラベルについて調査を行い、特定のラベルやシールが明治20年代の資料整理の際に利用されたものであることを突き止めました。これにより、収集年次の記載がないものであっても、明治時代に収集された古い技術を含んだ資料として利用できるようになり、また、明治期の台帳や資料カードの情報と照合することで、現在の資料に付属しない収集情報を復元することができました。
  2008年の報告では、旧稿の誤りを修正するとともに、博物場を一時管理下に置いていた現在の東京国立博物館との間で行われた資料交換で送られたアイヌ民族資料に関連する史料を紹介し、情報の充実に努めました。

北大植物園所蔵丸木舟の樹種同定 : 走査電子顕微鏡を用いて(2002)
  博物場が所蔵する一艘の丸木舟の樹種はドロノキとされてきましたが、文献によってはヤチダモとされており、混乱が見受けられました。また、樹木の専門家から見てもドロノキを丸木舟に加工するのは難しいのではないか、という指摘もあり調査が必要と考えられました。当該の丸木舟は重要民俗文化財に指定されているため、舟自体からサンプルをとることができませんでしたが、舟の破片と推測される破片の調査からは従来言われていたような樹種ではなく、シナノキである可能性が示唆されました。この他、文化財指定されていない丸木舟については、サンプルを採集し、樹種を特定しました。

北海道大学農学部博物館所蔵絵画資料の歴史的検討(2001)
北海道大学農学部博物館の絵画 所収
  開拓使の文書や札幌農学校史料を利用して、博物場所蔵の絵画資料がいつごろ構築されたのかについて検討しました。所蔵資料の大部分は、農学校所属博物場以前の開拓使時代の資料であることが確認されました。

北大植物園・博物館所蔵農商務省博物局交換資料について(2015)
  博物場と現在の東京国立博物館との間で行われた資料交換において、博物場から送られたアイヌ民族資料については紹介していましたが、東京国立博物館から送られた資料については未解明のままでした。所蔵資料の精査により、該当する可能性の高い資料群が確認されました。交換資料の多くは、当時の東京国立博物館の活動の柱の一つであった殖産興業関連の参考資料でした。明治期の博物館の活動を示す資料として活用が期待されます。

札幌博物場旧蔵万国博覧会関連資料について(2016)
  博物場には開拓使が参加していた万国博覧会関連の賞状やメダル類が所蔵されています。それらの資料の現状を紹介するとともに、刊行物として残されている博覧会関連の情報が必ずしも正しいものばかりではないことを、現存史料に基づいて検討しました。

函館製革所において製作されたセーム皮試作品について(2020)
  哺乳類標本の悉皆調査の過程で確認されたセーム皮資料に記載された情報から、当該資料が動物学資料として収集されたものではなく、開拓使の函館製革所で試作品として作成されたものであること、開拓使の東京出張所仮博物場で展示されていたものであることを見出しました。

ここまでの分類に該当しない資料を対象とした報告と、筆頭著者ではない関連論文を紹介します

史料紹介『札幌農学校所属博物館標本採集日記』(1)(2002)
史料紹介『札幌農学校所属博物館標本採集日記』(2)(2003)
史料紹介『札幌農学校所属博物館標本採集日記』(3)(2006)
史料紹介『札幌農学校所属博物館標本採集日記』(4)(2007)
史料紹介『札幌農学校所属博物館標本採集日記』(5)(2011)
  明治期の博物館活動、特に収集資料に関わる基本的資料である台帳を翻刻しました。

研究者の遺した写真を用いた標本情報の収集について : ヒグマ頭骨標本を一例に(2011)
  博物場所蔵のガラス乾板など、古写真の整理とデジタル化の結果、現時点で収集情報が分からなくなっていたヒグマ頭骨標本が論文に利用されていたものであり、その論文の記載情報を信頼するならば、標本の採集地や齢の情報を追加することを示しました。

(資料)阿部永「1968年北海道大学中央ネパール生物調査隊」調査手帳(2014)
(資料)阿部永「1975年北海道大学ネパールヒマラヤ学術調査隊 : ヒマラヤの農林業における生物学的基礎調査 」調査手帳(2015)
阿部永氏と共著
  博物場の重要標本群の一つである阿部永博士寄贈哺乳類標本の一部である、2度のネパール探検時のフィールドノートを翻刻しました。所蔵標本との照合結果を掲載し、標本の採集情報の充実を図りました。

Bird and mammal specimens in the Swedish Museum of Natural History originating from Hokkaido University(2008)
増田隆一氏ほかと共著
  博物場の館長であった八田三郎がスウェーデンの博物館に寄贈した標本の現状について紹介しています。標本交換にはステン・ベルグマンが関わっており、彼が千島で採集した鳥類標本の一部は博物場に保管されています。

江別兵村出土刀のX線CT撮影による解析について(2009)
越田賢一郎氏ほかと共著
 名取武光と後藤寿一による江別の発掘調査報告に掲載されていながら、博物場で確認することができない出土刀の現状を把握するために、油漬になっていた刀らしき資料をX線CTスキャナを利用して調査を行いました。結果として、油の中に報告に引用されたままの形の刀が保存されていることが確認されました。最新の技術を利用することで、古い資料の新たな価値が引き出される可能性を示す報告となっています。

四高のきのこムラージュ第2報
河原栄氏ほかと共著
 金沢大学で調査されていたきのこムラージュ資料について、博物場所蔵資料との共通性をもとに、その由来について検討を行いました。