今後の課題

 資料情報に混乱があることが確認できているにもかかわらず、調査検討が十分に実施できていない対象について、問題点の指摘やこれまでに進めた調査経過について発表し、当該資料を利用する場合に誤った情報を意図せず利用しないようにすること、また、今後整理や研究にあたる場合に同じ調査をしなくてもすむようにすることを目的にまとめています。あわせて、整理に着手できていない資料群の背景や現状や予定している整理の方向性などについても、将来のスタッフの備忘録としてまとめています。
 標本史研究のテーマとして、以下に示した材料に関心がある学生も歓迎します。

 お雇い外国人であるベンジャミン・ライマンが開拓使の依頼に基づき、北海道の地質調査を行った際に収集した岩石資料5,000点ほどがHUNHMには保管されています。1995年に北海道開拓記念館(当時)で開催された「ライマン・コレクション展」に一部が出品されたほか、北海道史の重要コレクションとして様々な形で紹介されてきましたが、その全容や資料群が抱えている問題点については明確にされてきませんでした。現時点で認識している問題点、再整理と調査の途中経過、今後の方向性をまとめていきます。
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 札幌博物学会は、宮部金吾ら札幌農学校の研究者が中心となって1891年に設立された学会です。1906年に学会誌『札幌博物学会会報』創刊号が刊行された後,1950年の19巻1・2号の刊行をもって学会の活動が休止しましたが、宮部金吾の系譜を継ぐ農学部の研究室が学会資料を管理していました。HUNHMではこれらの資料管理を引き継ぎ、整理することとなりました。『札幌博物学会報』については、HUSCAPに登録して利用促進を図っていますが、関連資料の整理や調査はいまだ不十分です。資料の概要や今後行うべき整理・調査についてまとめていきます。
なお、受入資料の管理にあたっては札幌農学同窓会の支援を受けています。
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 HUNHMは北海道考古学黎明期の拠点の一つであり、昭和初期に発掘された重要資料の多くを所蔵しています。それだけでなく、開拓使の博物場および札幌農学校の博物場であったことから、明治初期に採集された土器・石器なども資料群に含まれています。過去に紹介したように、これらの資料の一部の採集情報には混乱が見受けられ、慎重な調査が必要と考えています。
 また、一部の資料が未整理・未登録の状態で保管されており、順次登録作業を行っていますが終了の目途はたっていません。このほか、所蔵資料の収集に関わった研究者の資料との照合作業など、資料価値を高めるための調査を行う余地が残っています。
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 HUNHMの館長であった八田三郎と犬飼哲夫の資料が残されています。八田三郎文庫の一部については、データ公開ページで目録を公開しています。犬飼文庫については、北海道大学附属図書館の蔵書検索で検索できるようになっています。この他、両者を含む過去のスタッフが残した写真資料についても目録を公開しています。
 しかしながら、八田・犬飼のノートや調査資料、八田宛の書簡類などの調査と整理は十分に進められていません所蔵資料に関連する情報や、著名な研究者である八田・犬飼の研究活動のバックグラウンドを知ることは、今後の研究に大きく貢献することが予想されます。
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 大正~昭和初期にかけて、日本の動物学研究に貢献した標本採集人である折居彪二郎の採集標本が所蔵されています。近年、折居の活動が再評価されて、採集日記の活字化・出版や資料を所蔵する苫小牧市立中央図書館によるデータベース化が進められています。
 北海道大学には、農学部と理学部の関係者に対して折居から提供された鳥類標本、哺乳類標本が残されていて、現在はすべてHUNHMに所蔵されています。農学部系統の標本については目録として紹介しましたが、理学部系統の標本の紹介については今後の課題となっています。
 整理の中で課題と考えている点は、折居から採集依頼者に対して納入された標本と、大学の研究資料として寄贈された標本との違いです。山階鳥類研究所をはじめとする他の機関に所蔵されている標本には、折居の採集日誌の記載に対応する標本番号が記載されていますが、北海道大学の標本には確認されません。おそらくは、調査の資金を出している依頼者とは別の研究者に販売するために、別グループの標本を採集・作製していたのではないか、と推測しています。フィールドノートと現存標本との対比から、研究資源としての標本情報の復元も可能かもしれません。また、標本採集人の実際の姿が見えてくるかもしれません。
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 HUNHMには、阿部永コレクションという著名な哺乳類標本群が所蔵されていますが、鳥類標本と同様に1877(明治10)年の開館から収集されてきた明治期の標本があることは、あまり知られていません。散発的に研究利用されたことはありますが、リストとしては、1910(明治43)年に刊行されたHUNHMの展示目録である「札幌博物館案内」と、ネズミ科の一部の資料が、Tokuda(1932)によって紹介されたにすぎません。
 これは、明治期の博物館スタッフには村田荘次郎(庄次郎)という鳥類を主たる対象とした人物がいたものの、哺乳類への関心が低かったことが影響しているのかもしれません。
 鳥類標本に比べ、残されている標本台帳は少ないのですが、鳥類標本で行った付属するラベルごとに分類し、記載標本番号と過去の台帳との照合から失われた採集情報を復元することができるかもしれません。
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 HUNHMの民族資料として、開拓使の博物館時代と昭和初期の犬飼・名取の時代に収集されたアイヌ民族資料がよく知られています。しかし、北方民族だけでなく、台湾や南洋地域の民族資料も大規模なコレクションではないものの保管されています。
 これらは、戦前・戦中に北海道大学の学生が現地から持ち帰ったものなどが含まれているなど、大学や博物場の歴史と深く関係するのではないかと推測しています。残念ながら、研究目的で採集されたという記録がなく、背景情報が付属していない資料が大部分です。しかし、各地域の文化の専門家の目から見ると、特徴的な資料が含まれているそうです。
 現時点ではこれらの民族資料の整理・調査には手が回らないのが実情です。関心のある研究者との協力体制の構築を期待しています。
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