北海道大学農学部博物館所蔵
絵画資料の歴史的検討

加藤 克


はじめに
1.北海道大学農学部博物館所蔵絵画資料の位置付け
2.絵画資料の情報
3.まとめ


はじめに
 本報告では、北海道大学農学部博物館所蔵絵画資料を歴史的に検討し、資料情報の整理を行う。報告書の情報からも理解できるように、収蔵絵画資料には付属する情報がほとんどなく、歴史的価値を見出すことが困難であるが、関連史料i によって確認しうる情報を提示し、その資料価値を高める一助としたい。

1.北海道大学農学部博物館所蔵絵画資料の位置付け
 北海道大学農学部博物館の歴史の中で、調査を行った絵画資料群がどのような位置付けをされていたかについて、現在からさかのぼる形で検討したい。
 現在使用している博物館標本台帳は1960年代前半に運用が開始されたiiものであるが、絵画資料が登録されたのは1999年になってからiiiであり、それまでは標本台帳上に絵画資料は存在せず、台帳による検索は不可能な状況であった。しかし、このことは資料を放置していたことを意味するのではない。これらの絵画資料は多くの文献に引用されておりiv、資料は十分とはいえないまでも活用されていたものと考えられる。台帳に登録されなかった理由としては、農学部動物学教室の教官を中心としてスタッフが構成されていたため、情報公開・展示・劣化防止などの対策はとりつつも、絵画資料の情報整理を十分に行うことができず、台帳登録を先延ばしにせざるを得なかったものと考えられる。
 標本台帳作成前後の状況としては、絵画資料の一部・地図・写真資料などに「図・表・地」という整理記号に通し番号を付与しており、動物・考古・民族資料などとは別の扱いで整理していたようである。この整理に関する台帳などは現存しておらず、どのような基準で整理されたのかなどについては不明であるが、昭和30年代の台帳作成準備の際にあわせて行われたものではないかと考えているv
 明治中頃から昭和30年代にかけて絵画資料が整理された形跡は全く存在しない。現存する採集日誌等を見ても絵画資料に関する記載は全く見いだすことができない。
 現在の農学部博物館の建築物や多くの資料が札幌農学校所属となったのは1884(明治17)年である。1882(明治15)年の開拓使の廃止に伴い開拓使の札幌博物場は農商務省博物局、農商務省北海道事業管理局札幌農業事務所管轄を経て札幌農学校に移管され、農学校の博物室と合併して成立したものであるvi。これらの移管に伴って作成された引継書類のなかには資料目録が含まれており、その中には「図書之部」「図絵類」という部門が設定されている。これらには写真や物産表一覧などが含まれており、単純に絵画類の部門とはいえないものの、絵画資料の扱いが他の動物・民族資料などと同等に扱われていたことには注目する必要がある。
 農学校への移管後、しばらくの間標本受入の記録が作成されておりvii、それらにも図画写真という部門が設定されている。しかし、その詳細は不明であり、またその点数もほとんど増加していないことから、農学校所属となってからの絵画・図画資料に対する関心の高さを窺うことはできないviii
 後述するように、現在収蔵している絵画資料の多くは、その存在が開拓使時代にまで遡ることができる。この点から考えても札幌農学校の所属博物館となってからの絵画資料の位置付けは低下したと考えなければならない。

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