2-2「博物場農学校轉轄書類」xi 下記の表は、前節の2年後、1884(明治17)年に札幌博物場が農商務省北海道事業管理局から札幌農学校に移管された際に作製された書類(「博物場農学校轉轄書類」)の内、「札幌博物場陳列品目録」の「図絵類」の記載事項である。表[I]と同様に現在の資料と符合するものを右端に記入した。
(表[II])
番号
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品名
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個数
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備考
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標本番号
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図版番号
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1
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札幌市街額
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1
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札幌市街額
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【39563】
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206
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2
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鷹額
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1
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タカ図(額)
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【33456】?
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48?
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3
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青鳩額
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1
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アオバト図(額)
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【33459】
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49
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4
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小鴨鶺鴒額
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1
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コガモ・セキレイ図(額)
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|
|
5
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河烏蝋嘴鳥額
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1
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カワガラス・アトリ図(額)
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※
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|
6
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深山カケス嶌額
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1
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ミヤマカケス図(額)
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【33460】
|
50
|
7
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鳩額
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1
|
カッコウ図(額)
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【33462】
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55
|
8
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雪中雀額
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1
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雪中の雀図(額)
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※
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|
9
|
蒿雀梟額
|
1
|
アオジ・フクロウ図(額)
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【7166】
|
52
|
10
|
鴛鴦鴨額
|
1
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オシドリ・カモ図(額)
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【33345】
|
53
|
11
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野生草花額
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1
|
野生草花図(額)
|
【33463】
|
51
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12
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女ノ子額
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2点
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女ノ子図(額)
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|
|
13
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鷲猿額
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1
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ワシ・サル図(額)
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【33339】
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47
|
14
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北海道実測額
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1
|
北海道実測図
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|
15
|
手宮石壁図
|
1
|
手宮石壁図
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16
|
鳥魚類写生状
|
2点
|
鳥魚類写生帖
|
【33158】
【33159】
|
83
84
|
17
|
博物写生状
|
3点
|
博物写生帖
|
【33157】
|
82
|
18
|
鳥類写生
|
65点
|
鳥類写生図
|
【33093】~
【33156】(64点)
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95〜158
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19
|
鷲図
|
1
|
ワシ図
|
【33336】
|
60
|
20
|
アイサ鴨図
|
1
|
アイサ図
|
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|
21
|
開拓使札幌本庁宮内一覧表
|
1
|
開拓使札幌本庁宮内一覧表
|
|
|
22
|
仝 物産表
|
1
|
開拓使札幌本庁宮内物産表
|
|
|
23
|
梟図
|
1
|
フクロウ図
|
【33214】
|
159
|
24
|
膃肭臍図
|
1
|
オットセイ図
|
【33216】
|
76
|
25
|
小鹿図
|
1
|
シカ(仔)図
|
【33312】
|
160
|
26
|
鮭図
|
15点
|
サケ図
|
【33201】~
【33212】
【33221】
【33333】
【33334】
(15点)
|
61〜72
73
74
75
|
27
|
白頭翁図
|
1
|
ムクドリ図
|
【33215】
|
57
|
28
|
蟹図
|
1
|
カニ図
|
【33218】
|
78
|
29
|
鰈図
|
2点
|
カレイ図
|
【33217】
【33219】
|
77
79
|
30
|
草花写生
|
9点
|
草花写生図
|
【33084】~
【33092】(9点)
|
86〜94
|
31
|
北海道木材表
|
1
|
北海道木材表
|
|
|
32
|
牡父魚図
|
1
|
カジカ図
|
【33220】
|
80
|
33
|
雉子鳩図
|
1
|
キジバト図
|
|
|
34
|
白鴉図
|
1
|
シロガラス図
|
【33335】
|
59
|
35
|
土人頭骨図
|
1
|
頭骨図
|
【33332】
|
81
|
36
|
手宮石壁景
|
1
|
手宮石壁景
|
【33464】
|
223
|
37
|
ホヤ図
|
1
|
ホヤ図
|
【33083】
|
85
|
38
|
工業高水書器械ノ図
|
1
|
工業高水書器械ノ図
|
|
|
39
|
白サギ絵
|
1
|
サギ図
|
【33328】?
|
58?
|
40
|
カケス絵
|
1
|
カケス図
|
|
|
41
|
小鴨ノ絵
|
1
|
コガモ図
|
|
|
42
|
アザラシ絵
|
1
|
アザラシ図
|
|
|
43
|
野雁寸法
|
1
|
ノガン寸法
|
【33311】
|
164
|
44
|
膽振国有珠郡移民一覧表
|
1
|
胆振国有珠郡移民一覧表
|
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45
|
漁業具図
|
1
|
漁業具図
|
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|
46
|
大礼服製図
|
1冊
|
大礼服製図
|
|
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47
|
陸軍衣製図
|
2冊
|
陸軍衣製図
|
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48
|
海軍衣製図
|
5冊
|
海軍衣製図
|
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上記2史料はほぼ同時期に作成されたものであり、内容も大幅な違いはないので、あわせて検討する。なお、以下で表[II]の43番野雁寸法をさす場合に[II]-43という表現をとる。 表[I]から理解できるように、1882年段階で開拓使によって収集されていた「図書之部」資料は40件176点であるが、その内、写真及び表類は今回調査しておらず、照合対象となる絵画資料は34件126点である。対して、表[II]の1884年段階では「図絵類」は48件144点と資料点数が大きく減少しているが、これは表[I]-1.2.3の写真が「図絵類」に含まれなかったためであり、照合対象となる絵画資料は38件129点である。増加分は[II]-8雪中雀、[II]-39白サギ絵、[II]-40カケス絵、[II]-41小鴨ノ絵、[II]-42アザラシ絵、[II]-43野雁寸法の6点、減少分は[I]-22鳥類写生が66点から65点に、[I]-11梟額と[I]-23サンカ五位図の3点である。
《照合における問題点》 [I]-22鳥類写生は66点、[II]-18鳥類写生は65点と点数が減少している。現存する鳥類写生図表に見るように64点であり、1882年から84年の間に1点が、その後現在までの間にもう1点が失われたものと考えられる。 [I]-23のサンカ五位図は表[II]では削除されており、失われたとも考えられるが、【33328】にはアオサギxiiとサンカノゴイが描かれており、1884年段階で[II]-39白サギ図へと名称が変更されたものと考えてよいのではないだろうか。 [I]-29および[II]-26鮭図は共に15点存在し、現存する鮭図と点数は合致するものの、うち2点が絹本であり、様式が統一されているものでないことに注意する必要がある。
[I]-20鳥類写生状2折、[I]-21博物写生状3折と[II]-16鳥魚類写生状2点、[II]-17博物写生状3点に合致する可能性のあるものは【33157】(博物画帖)、【33158】(魚類画帖)、【33159】(鳥類画帖)、【33521】(鳥類画帖)、【33522】(鳥類画帖)の5点である。この全てが明治15年以前の製作あるいは収集の記載がある。また、「画譜1」(【33521】)、「画譜2」(【33522】)、「図画4」(【33158】)、「図帖5」(【33157】)と記載されておりxiii、古くから画譜類としてまとめて整理されていた資料群であると考えられるが、この5点が表[I]・[II]に掲載されている写生状と断定するには次のような問題点がある。 まず資料の様式的な分類からいえば、【33158】、【33159】はほぼ共通の様式である。また【33521】、【33522】もほぼ共通である。[I]-20が「鳥魚類写生状」の誤記だと考えるならば[I]-20([II]-16)が【33158】及び【33159】、[I]-21([II]-17)が【33157】【33521】【33522】と考えることは不可能ではない。しかし、この考え方には次の問題がある。 まず、[II]-16が【33158】及び【33159】であることはまず間違いない。また、【33157】には【33158】および【33159】と同様に「博物局札幌博物場」の印が押されており、おそらく[I]-21([II]-17)「博物写生状」3点の内の1点と考えることができる。しかし、【33521】および【33522】の鳥類画帖は、様式、サイズから見ても【33157】と同列に扱うことはできず、3折という表現でまとめることは難しい。また、【33521】及び【33522】は鳥類博物画・額【33313】~【33327】、【33329】~【33331】と【33431】~【33454】と同一の博物画様式をとるが、これらには製作・採集年月日などの情報は付属しておらず、その製作年代を資料から読み取ることはできない。また、表[I]・[II]にも【33313】以降の鳥類博物画・額に合致する記載がなく、これらを開拓使由来の絵画資料であると判断することは現時点で困難である。これらが一連の資料と考えられる以上、画帖【33521】、【33522】のみを表[I]・[II]に見る絵画資料と位置付けることは困難である。また、【33521】および【33522】には【33157】から【33159】に見られた「博物局札幌博物場」印が押されていないことからも、[I]-20([II]-17)「博物写生状」として安易に判断することには慎重にならざるを得ない。【33521】および【33522】は、付属ラベルから1878(明治11)年に開拓使東京仮博物場で製作された可能性は非常に高いと考えられるが、東京仮博物場の閉場に伴う開拓使の札幌仮博物場への移管、その後の札幌農学校への移管資料に含まれていたと断言することは現時点ではできない。
その他指摘できる点としては、次の3点が挙げられる。 当初【33456】は描かれた内容から[II]-8「雪中雀」と判断していたが、【33456】は、田島氏によれば【33459】などと同工異曲であるという。ここから、表[II]になって突如現れる可能性は低いのではないかという田島氏の指摘に従って、[I]-5、[II]-2「鷹額」とした。描かれた内容からすれば[II]-8「雪中雀」でも問題はない。先に見た[I]-23「サンカ五位図」と[II]-39「シラサギ絵」のように、表[I]・[II]間で表記が変更されていれば、付与された資料名が変更されたとも考えられるが、「鷹額」はともに記載されており、そのように考えることもできない。【33456】が[II]-8「雪中雀」である可能性を残しつつ、現時点では[I]-5、[II]-2「鷹額」とみなしておく。 【33458】は【33459】などと同じ様式で描かれ、額装も共通であること、【33458】の下図にはカワガラスが描かれていることから、[I]-8、[II]-5にみえる「河烏蝋嘴鳥額」とも考えられるが、アトリは描かれていない。描かれている鳥はシメ・ムギマキ・アカショウビン・カワセミである。ムギマキは北海道内では確認されることが稀で、書類作成の担当者がムギマキをアトリと見誤った可能性もあるが、断定する材料には欠けるxiv。 【45269】は【33462】と同じ様式であり、額装も共通になっているが、表[I]・[II]の記載とは合致しない。先に見た画帖や鳥類図・額などが表[I]・[II]に記載されていないことも含め、開拓使博物場からの資料移管の状況、関連史料の信頼性など今後検討を深めなければならない点は多い。
以上の照合作業がすべて妥当であるとして、表[I]記載の現存資料は115点を確認でき、これらは開拓使から北海道事業管理局、札幌農学校を経て現在に伝わる資料として位置付けることができる。また表[II]記載のものとして、[II]-43野雁寸法が加わり、116点が確認でき、【33311】は明治15年から17年の間に製作あるいは収集されたものと考えてよいと思われる。
これらの資料の多くには製作年代が記載されていないものも多く、今回の照合によりその資料情報が追加できたものと考える。
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