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2.絵画資料の情報
 北海道大学農学部博物館収蔵絵画資料の多くには、その製作年代や製作者、博物館への納入年代やその経緯が付属しておらず、登録名も「博物画、作者、年代不明」というものが多い。今回改めて開拓使時代以降の標本関連の史料を確認し、田島達也、市川秀雄両氏の協力を得て、それらに記載されている資料と現在所蔵している資料とを照合することを試みた。以下、標本関連史料の絵画資料部分を紹介し、照合作業を行う。

2-1「博物場引渡目録」ix
 下記の表は、1882(明治15)年に開拓使が廃止され、札幌博物場およびその所蔵品、関連の備品などが農商務省博物局に移管された際に作製された書類(「博物場引渡目録」)の一部、「博物場陳列品現在表」の「図書之部」の記載事項である。この「陳列品現在表」の「陳列」という表現は現在の感覚からすれば「展示」してあるもの、という印象を与えるが、この一覧には引継の際の代価が記載されており、単に「展示」してあるものの一覧ではなく収蔵資料全ての記載であると考える方が妥当である。
 ここに記載されている資料と今回調査した資料を照合し、符合すると考えられるものの標本番号を表の右端に記載した。なお、今回調査し得なかった写真や表などは現存するものもあるが、記載は省いてある。

(表[I])x

番号

品名

個数

備考

標本番号

図版番号

1

写真大

33点

写真(大)

 

 

2

仝中

3点

写真(中)

 

 

3

仝小

11点

写真(小)

 

 

4

札幌市街之図

1面

札幌市街之図

39563】

 206

5

鷹額

1面

タカ図(額)

33456】?

 48?

6

青鳩額

1面

アオバト図(額)

33459】

 49

7

小鴨鶺鴒額

1面

コガモ・セキレイ図(額)

 

 

8

河鴉蝋嘴額

1面

カワガラス・アトリ図(額)

 

 

9

深山カケス嶌額

1面

ミヤマカケス図(額)

33460】

 50

10

 鳩額

1面

カッコウ図(額)

33462】

 55

11

梟額

1面

フクロウ図(額)

 

 

12

蒿雀梟額

1面

アオジ・フクロウ図(額)

7166】

 52

13

鴛鴦鴨額

1面

オシドリ・カモ図(額)

33345】

 53

14

野生草花額

1面

野生草花図(額)

33463】

 51

15

女ノ子額

2面

女ノ子図(額)

 

 

16

鷲猿額

1面

ワシ・サル図(額)

33339】

 47

17

北海道実測図

1面

北海道実測図

 

 

18

北海道地質多色図

1葉

北海道地質多色図

 

 

19

手宮石壁図

1葉

手宮石壁図

 

 

20

鳥類写生状

2折

鳥類写生帖

33158】

33159】

 83

 84

21

博物写生状

3折

博物写生帖

33157】

 82

22

鳥類写生

66葉

鳥類写生図

33093】~

33156】(64点)

 95〜158

23

サンカ五位図

1葉

サンカノゴイ図

33328】?

 58?

24

鷲図

1葉

ワシ図

33336】

 60

25

アイサ鴨図

1葉

アイサ図

 

 

26

梟図

1葉

フクロウ図

33214】

 159

27

膃肭臍図

1葉

オットセイ図

33216】

 76

28

小鹿図

1葉

シカ(仔)図

33312】

 160

29

鮭図

15葉

サケ図

33201】~

33212】

33221】

33333】

33334】

15点)

 61〜72

 

 73

 74

 75

 

30

白頭翁図

1葉

ムクドリ図

33215】

 57

31

蟹図

1葉

カニ図

33218】

 78

32

鰈図

2葉

カレイ図

33217】

33219】

 77

 79

33

草花写生

9葉

草花写生図

33084】~

33092】(9点)

 86〜94

 

34

北海道木材表

1面

北海道木材表

 

 

35

秩父魚図

1葉

カジカ図

33220】

 80

36

雉子鳩図

1葉

キジバト図

 

 

37

白鴉図

1葉

シロガラス図

33335】

 59

38

土人頭骨図

1葉

頭骨図

33332】

 81

39

手宮石壁景

1葉

手宮石壁景

33464】

 223

40

ホヤ図

1葉

ホヤ図

33083】

 85

 

2-2「博物場農学校轉轄書類」xi
 下記の表は、前節の2年後、1884(明治17)年に札幌博物場が農商務省北海道事業管理局から札幌農学校に移管された際に作製された書類(「博物場農学校轉轄書類」)の内、「札幌博物場陳列品目録」の「図絵類」の記載事項である。表[I]と同様に現在の資料と符合するものを右端に記入した。

(表[II])

番号

品名

個数

備考

標本番号

図版番号

1

札幌市街額

1

札幌市街額

39563】

 206

2

鷹額

1

タカ図(額)

33456】?

 48?

3

青鳩額

1

アオバト図(額)

33459】

 49

4

小鴨鶺鴒額

1

コガモ・セキレイ図(額)

 

 

5

河烏蝋嘴鳥額

1

カワガラス・アトリ図(額)

 

6

深山カケス嶌額

1

ミヤマカケス図(額)

33460】

 50

7

 鳩額

1

カッコウ図(額)

33462】

 55

8

雪中雀額

1

雪中の雀図(額)

 

9

蒿雀梟額

1

アオジ・フクロウ図(額)

7166】

 52

10

鴛鴦鴨額

1

オシドリ・カモ図(額)

33345】

 53

11

野生草花額

1

野生草花図(額)

33463】

 51

12

女ノ子額

2点

女ノ子図(額)

 

 

13

鷲猿額

1

ワシ・サル図(額)

33339】

 47

14

北海道実測額

1

北海道実測図

 

 

15

手宮石壁図

1

手宮石壁図

 

 

16

鳥魚類写生状

2点

鳥魚類写生帖

33158】

33159】

 83

 84

17

博物写生状

3点

博物写生帖

33157】

 82

18

鳥類写生

65点

鳥類写生図

33093】~

33156】(64点)

 95〜158

19

鷲図

1

ワシ図

33336】

 60

20

アイサ鴨図

1

アイサ図

 

 

21

開拓使札幌本庁宮内一覧表

1

開拓使札幌本庁宮内一覧表

 

 

22

仝 物産表

1

開拓使札幌本庁宮内物産表

 

 

23

梟図

1

フクロウ図

33214】

 159

24

膃肭臍図

1

オットセイ図

33216】

 76

25

小鹿図

1

シカ(仔)図

33312】

 160

26

鮭図

15点

サケ図

33201】~

33212】

33221】

33333】

33334】

15点)

 61〜72

 

 73

 74

 75

 

27

白頭翁図

1

ムクドリ図

33215】

 57

28

蟹図

1

カニ図

33218】

 78

29

鰈図

2点

カレイ図

33217】

33219】

 77

 79

30

草花写生

9点

草花写生図

33084】~

33092】(9点)

 86〜94

 

31

北海道木材表

1

北海道木材表

 

 

32

牡父魚図

1

カジカ図

33220】

 80

33

雉子鳩図

1

キジバト図

 

 

34

白鴉図

1

シロガラス図

33335】

 59

35

土人頭骨図

1

頭骨図

33332】

 81

36

手宮石壁景

1

手宮石壁景

33464】

 223

37

ホヤ図

1

ホヤ図

33083】

 85

38

工業高水書器械ノ図

1

工業高水書器械ノ図

 

 

39

白サギ絵

1

サギ図

33328】?

 58?

40

カケス絵

1

カケス図

 

 

41

小鴨ノ絵

1

コガモ図

 

 

42

アザラシ絵

1

アザラシ図

 

 

43

野雁寸法

1

ノガン寸法

33311】

 164

44

膽振国有珠郡移民一覧表

1

胆振国有珠郡移民一覧表

 

 

45

漁業具図

1

漁業具図

 

 

46

大礼服製図

1冊

大礼服製図

 

 

47

陸軍衣製図

2冊

陸軍衣製図

 

 

48

海軍衣製図

5冊

海軍衣製図

 

 

 
 上記2史料はほぼ同時期に作成されたものであり、内容も大幅な違いはないので、あわせて検討する。なお、以下で表[II]の43番野雁寸法をさす場合に[II]-43という表現をとる。
 表[I]から理解できるように、1882年段階で開拓使によって収集されていた「図書之部」資料は40件176点であるが、その内、写真及び表類は今回調査しておらず、照合対象となる絵画資料は34件126点である。対して、表[II]の1884年段階では「図絵類」は48件144点と資料点数が大きく減少しているが、これは表[I]-1.2.3の写真が「図絵類」に含まれなかったためであり、照合対象となる絵画資料は38件129点である。増加分は[II]-8雪中雀、[II]-39白サギ絵、[II]-40カケス絵、[II]-41小鴨ノ絵、[II]-42アザラシ絵、[II]-43野雁寸法の6点、減少分は[I]-22鳥類写生が66点から65点に、[I]-11梟額と[I]-23サンカ五位図の3点である。

《照合における問題点》
 [I]-22鳥類写生は66点、[II]-18鳥類写生は65点と点数が減少している。現存する鳥類写生図表に見るように64点であり、1882年から84年の間に1点が、その後現在までの間にもう1点が失われたものと考えられる。
 [I]-23のサンカ五位図は表[II]では削除されており、失われたとも考えられるが、【33328】にはアオサギxiiとサンカノゴイが描かれており、1884年段階で[II]-39白サギ図へと名称が変更されたものと考えてよいのではないだろうか。
 [I]-29および[II]-26鮭図は共に15点存在し、現存する鮭図と点数は合致するものの、うち2点が絹本であり、様式が統一されているものでないことに注意する必要がある。

 [I]-20鳥類写生状2折、[I]-21博物写生状3折と[II]-16鳥魚類写生状2点、[II]-17博物写生状3点に合致する可能性のあるものは【33157】(博物画帖)、【33158】(魚類画帖)、【33159】(鳥類画帖)、【33521】(鳥類画帖)、【33522】(鳥類画帖)の5点である。この全てが明治15年以前の製作あるいは収集の記載がある。また、「画譜1」(【33521】)、「画譜2」(【33522】)、「図画4」(【33158】)、「図帖5」(【33157】)と記載されておりxiii、古くから画譜類としてまとめて整理されていた資料群であると考えられるが、この5点が表[I]・[II]に掲載されている写生状と断定するには次のような問題点がある。
 まず資料の様式的な分類からいえば、【33158】、【33159】はほぼ共通の様式である。また【33521】、【33522】もほぼ共通である。[I]-20が「鳥魚類写生状」の誤記だと考えるならば[I]-20([II]-16)が【33158】及び【33159】、[I]-21([II]-17)が【33157】【33521】【33522】と考えることは不可能ではない。しかし、この考え方には次の問題がある。
 まず、[II]-16が【33158】及び【33159】であることはまず間違いない。また、【33157】には【33158】および【33159】と同様に「博物局札幌博物場」の印が押されており、おそらく[I]-21([II]-17)「博物写生状」3点の内の1点と考えることができる。しかし、【33521】および【33522】の鳥類画帖は、様式、サイズから見ても【33157】と同列に扱うことはできず、3折という表現でまとめることは難しい。また、【33521】及び【33522】は鳥類博物画・額【33313】~【33327】、【33329】~【33331】と【33431】~【33454】と同一の博物画様式をとるが、これらには製作・採集年月日などの情報は付属しておらず、その製作年代を資料から読み取ることはできない。また、表[I]・[II]にも【33313】以降の鳥類博物画・額に合致する記載がなく、これらを開拓使由来の絵画資料であると判断することは現時点で困難である。これらが一連の資料と考えられる以上、画帖【33521】、【33522】のみを表[I]・[II]に見る絵画資料と位置付けることは困難である。また、【33521】および【33522】には【33157】から【33159】に見られた「博物局札幌博物場」印が押されていないことからも、[I]-20([II]-17)「博物写生状」として安易に判断することには慎重にならざるを得ない。【33521】および【33522】は、付属ラベルから1878(明治11)年に開拓使東京仮博物場で製作された可能性は非常に高いと考えられるが、東京仮博物場の閉場に伴う開拓使の札幌仮博物場への移管、その後の札幌農学校への移管資料に含まれていたと断言することは現時点ではできない。

 その他指摘できる点としては、次の3点が挙げられる。
 当初【33456】は描かれた内容から[II]-8「雪中雀」と判断していたが、【33456】は、田島氏によれば【33459】などと同工異曲であるという。ここから、表[II]になって突如現れる可能性は低いのではないかという田島氏の指摘に従って、[I]-5、[II]-2「鷹額」とした。描かれた内容からすれば[II]-8「雪中雀」でも問題はない。先に見た[I]-23「サンカ五位図」と[II]-39「シラサギ絵」のように、表[I]・[II]間で表記が変更されていれば、付与された資料名が変更されたとも考えられるが、「鷹額」はともに記載されており、そのように考えることもできない。【33456】が[II]-8「雪中雀」である可能性を残しつつ、現時点では[I]-5、[II]-2「鷹額」とみなしておく。
 【33458】は【33459】などと同じ様式で描かれ、額装も共通であること、【33458】の下図にはカワガラスが描かれていることから、[I]-8、[II]-5にみえる「河烏蝋嘴鳥額」とも考えられるが、アトリは描かれていない。描かれている鳥はシメ・ムギマキ・アカショウビン・カワセミである。ムギマキは北海道内では確認されることが稀で、書類作成の担当者がムギマキをアトリと見誤った可能性もあるが、断定する材料には欠けるxiv
 【45269】は【33462】と同じ様式であり、額装も共通になっているが、表[I]・[II]の記載とは合致しない。先に見た画帖や鳥類図・額などが表[I]・[II]に記載されていないことも含め、開拓使博物場からの資料移管の状況、関連史料の信頼性など今後検討を深めなければならない点は多い。

 以上の照合作業がすべて妥当であるとして、表[I]記載の現存資料は115点を確認でき、これらは開拓使から北海道事業管理局、札幌農学校を経て現在に伝わる資料として位置付けることができる。また表[II]記載のものとして、[II]-43野雁寸法が加わり、116点が確認でき、【33311】は明治15年から17年の間に製作あるいは収集されたものと考えてよいと思われる。
 これらの資料の多くには製作年代が記載されていないものも多く、今回の照合によりその資料情報が追加できたものと考える。

2-3 物品管理簿(北海道大学大学院農学研究科)
 前章で見たように、札幌農学校の所属となってからの絵画資料に関する情報は非常に少ない。しかし、寄贈などで国有財産として登録された場合には物品管理簿に登録されており、受入の時期や寄贈者などの情報が判明するものもある。以下の表は北海道大学大学院農学研究科会計掛が保管する物品管理簿に記載されている情報である。

(表[III])xv

番号

異動年月日

形式

標本番号

図版番号

1

昭和32年4月1日

絵画「石狩川鮭漁之図」作不明(明治16年頃の筆) 

開拓使より移管

33341】

 207

2

昭和32年4月1日

絵画「高島鰊漁之図」作不明(明治16年頃の筆) 

開拓使より移管

33342】

 208

3

昭和32年4月1日

絵画「鮭」高橋由一筆(明治9-11年頃)[II]xvi

33340】

 221

4

昭和32年4月1日

絵画「明治6年札幌市街之真景」 船越長善筆

開拓使より移管

39563】

 206

5

昭和32年4月1日

絵画「牧場之護衛」根岸錬吉筆 根岸錬吉寄贈

39562】

 222

6

昭和32年4月1日

絵画「バチェラー博士」作  道庁より寄贈

33354】

 220

7

昭和32年4月1日

掛軸 9月マレッポニテ鮭突之図 元田茂寄贈

33373】

 215

8

昭和42年5月10日

巻物 画譜巻物 藤田とよ寄贈

33024】

33025】

 204

 205

9

昭和42年5月10日

画譜 岩手県北群(ママ)田名部山水真景画譜 藤田とよ寄贈

33042】

 203

 

 異動年月日として多くみえる昭和32年4月1日は物品管理法が施行された時期であり、この時期を境に物品管理簿が管理されるようになったものである。つまり、[III]-1~7は物品管理法以前にすでに保管されていたことは分かるが、いつ受入れられたものであるかについてはこの管理簿から読み取ることはできないxvii
 [III]-8.9はともに船越長善の筆によるもので、「明治6年札幌市街之真景」【39563】の関連資料として位置付け、寄贈を受けたものと考えられる。この受入についての関連資料は現在のところ見出せない。
 [III]-1.2の【33341】および【33342】には開拓使移管との記載があるが、明治16年頃製作されたという情報が正しければ、この時点ですでに開拓使は廃止されており、開拓使からの移管という事実は存在しえないことになる。また、これらは表[I]および[II]には掲載されておらず、どのような史料をもとにこのような記載がされたのか、現在のところ不明である。仮に、前節で問題となったように博物画(額)などの絵画資料の全てが表[I]・[II]に掲載されていなかったならば、【33341】、【33342】も移管資料に掲載されていなかっただけと考えることもできるかもしれないが、資料が移管された当時の史料と半世紀以上経過した後の史料ではその情報の信頼性は比べようもないので、現時点では表[III]の情報を無条件に信用することは避けておく。
 表[III]からは、1957(昭和32)年当時、備品として登録すべきと博物館スタッフに考えられていた絵画資料が7点に過ぎず、絵画資料に対する関心が薄かったことを窺わせる。

2-4 北海道大学附属図書館、大学院農学研究科・農学部図書室受入台帳

 今回調査した絵画資料中には、北海道大学の図書資料として受入れられたものが含まれている。これらは図書資料ではあるが、絵画資料としての価値や歴史的な価値を評価できると判断し、紹介することとした。これらには図書の受入原簿に記載された番号が付与されており、図書台帳の記載によって、その受入時期などが判明する。

【33046】~【33082】(37点)<166>~<202>
 この37点は、大きさや彩色の様子が必ずしも統一されていないので、それぞれ資料番号を付与していたのだが、【33073】に押されている北海道帝国大学附属図書館の受入印の番号から次のような情報が判明した。
書名:Zoographia Rosso-Asoatica, sistens Omnium Animalium in extenso imperio Rossico. Tafeln 37pl. 1831年
著者:Pallas, Petro
大学への受入時期:1932(昭和7)年6月2日
この書籍はVol.1~3およびこの図版からなる資料であったことが受入台帳からは理解できるが、1973(昭和48)年にVol.1~3が附属図書館から農学部図書へ管理換えされた時点でこの図版が所在不明になっていたようである。このことから、遅くとも1973年には博物館の収蔵庫にこの図版37枚が保管されるようになっていたと考えられるxviii

【33021】~【33023】(3点)<211> <212> <213>
 「蝦夷島奇観」天・地・人の3点にも北海道帝国大学附属図書館の受入印が押されており、この番号から、受入時期は1937(昭和12)年5月27日、博物館が代田亀次郎氏より購入したことが分かる。この代田氏は札幌の古書店尚古堂の経営者で、北海道の歴史や自然科学に関する雑誌『蝦夷往来』の発行元でもある。この『蝦夷往来』には当館スタッフであった犬飼哲夫、名取武光らの報告文も多く掲載されており、その関係の深さを窺うことができる。1936年頃は名取が積極的にアイヌ資料の収集・研究に励んでおり、その一環として尚古堂より購入したものと考えられる。なお、表[III]-7掛軸【33373】も名取の活動が盛んであった時期とそれほど前後しない時期に寄贈されたものと考えられるxix

【33043】「鳴賞院鳥子」<2>
 この資料には、北海道大学農学部中央図書室の受入印が押されており、その図書カードには次のような記載がある。
鳴賞院鳥子 Meisho in cho si、著者不明、出版事項不明、1冊、納入犬飼哲夫、43.10.11とあり、1968年に当館館長であった犬飼哲夫が購入した図書資料であることが理解できるのみである。犬飼がどのような意図をもって購入したのか、現時点では明らかにならないが、[III]-8.9の寄贈時期と近接していることもあり、1960年代後半の標本台帳作製にあわせた絵画資料の収集活動と位置付けることもあながち無理な仮定ではないように思われる。
図書資料として大学に登録されていると同時に、博物館絵画資料として登録している資料は上記の3件41点である。

2-5 その他
 その他、資料上には現れないが、【33455】<214>の裏張の新聞に1906(明治39)年2月22日の日付が残されており、【33455】の製作はそれ以前であることがわかる。【39562】の寄贈日も1906年であり、この時期に何らかの活動があったのかもしれないがよくわからない。

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