Newsletter #21-2 湿地の保護・保全に欠かせない基盤情報「湿地目録」を作成する

耕地圏ステーション 植物園 冨士田 裕子

 近年、人間活動による湿地の消失や劣化、生態系の攪乱などが急速に進行し、湿地は世界中で危機的な状況におかれている。地球上の湿地の64%から71%は20世紀に失われたと推定され(Davidson 2014)、今なお世界各地で消失と劣化が続いている。日本も同様で、本州以南の沖積平野や盆地に存在した湿地の多くが、古くから水田や宅地へと転換され消失してきた。現存湿地面積の9割近くが集中する北海道においてさえ、元の面積の約7割が明治時代に始まった開拓や大規模農地開発などで消失している(図1)。

図1 北海道の湿地面積の変化

 湿地は生物多様性のホットスポットの一つで、水質改善、洪水等における緩衝作用、炭素の貯蔵、地域特有の景観を形成するなど、多くの利点や機能を持つ重要な生態系である。世界的にも湿原の保護と保全、再生は、人類共通の喫緊課題となっている。ところが、湿地の保護・保全に欠かせない基盤情報である、「どこに、どんなタイプの湿地が、どれだけの面積存在するのか」を明示する湿地目録(wetland inventory)が作成され、さらに生息する生物の情報、水文や土壌、水質などの物理化学的な環境要素情報、保全のための法的規制等の指定状況といった様々な情報を整備したデータベースが構築されている国は多くない。日本にも実は、信頼できるレベルの目録は存在していない。 

 そこで1997年に湿地研究者が主体となって北海道湿地目録を作成した(冨士田ほか 1997)。既存の資料、文献、報告書、聞き取り調査などから北海道内の面積1ha以上の湿地をリストアップし、面積、標高、湿地タイプといった基礎情報に加え、湿地の保護状況などの情報を含む目録である。しかし、北海道湿地リスト1997も湿地の範囲については不正確で、実際は土地開発により面積が減少していたり、乾燥化によってもはや湿地ではない場所も含まれているなど、現実に即した確認作業が必要とされてきた。湿地範囲が不正確だったのは、撮影年が古いモノクロ写真を多数使用したこと、判読経験値の異なる複数の人間が湿地範囲を判定したことが原因と考えられた。一方、2005年以降、解像度の高い無償の空中写真の公開、国土地理院地図の公開、有償のカラー空中写真の充実などにより、これらをGIS上で組み合わせることで、湿地の判読精度は以前とは比較にならないほど向上した。

 そして、試行錯誤しながら数年かけて新しい「北海道湿地目録2016」を作成した。新しい目録では、1997版で150箇所だった湿地は、180箇所に増えた。これは、山岳地域の人の目に触れない湿地などを、空中写真で確認・抽出することができたからである。また、データベースを活用して保全状況や健全性を評価したり、他のGISデータとの組み合わせで湿地とその周辺地域の土地利用上のリスクを評価するなど、様々なことが出来るようになった。

 湿地目録の作成は、地味で根気のいる作業だが、研究成果としてはなかなか評価されない。しかし誰にでも作成できるものではなく、湿地を知る研究者主体でないと作れない。湿地の保全や施策立案に大いに寄与する目録が完成して、湿地研究者としては胸をなでおろしている。

写真1 大雪山沼ノ平湿原の四ノ沼の様子(ドローンにより撮影)
写真2 大雪山平ケ岳南方湿原のケルミ-シュレンケ複合体.ケルミ(凸部)とシュレンケ(水のたまった凹部)が縞状に並ぶ.