1.調査の概要
北海道大学農学部付属植物園は、札幌市の中心部、中央区北3条西8丁目にあり、市民のオアシスとして親しまれている。この敷地の中に点在する、農学部博物館をはじめとする博物館施設も、植物園を訪れた人にはおなじみだろう。農学部博物館の展示品といえば、ヒグマ、既に絶滅したエゾオオカミ、南極へ行った樺太犬タロなど動物標本が有名である。北海道に関連する剥製の数々は質、量ともに非常に充実している。また、同じ植物園内にある北方民族資料室ではアイヌ文化に関する資料が展示されている。したがって、北大農学部の博物館といえば、現在では剥製とアイヌ関連に焦点が絞られている感があるが、博物館の歴史をたどると、必ずしも当初からこの姿をとっていたわけではないことがわかる。
農学部博物館は開拓使が1877(明治10)年に設立した開拓使札幌仮博物場に始まるi。北海道の、というより、日本の博物館の草分けともいうべき存在であり、博物館・美術館・物産館などの機能分化が確立する以前に生まれていることに注目する必要がある。この頃の博物館は、まさに「博」く「物」を収集展示する場であった。ここが手狭になり、1882(明治15)年に建てられた札幌博物場が現在の博物館の建物であり、1884(明治17)年に農商務省北海道事業管理局から札幌農学校(現在の北海道大学)に移管され、今日に至っている。この間、実に様々なものがコレクションされてきた。
今回、博物館の絵画を調査することになった発端は、昨年(平成2年)の1月にさかのぼる。当時私は、北海道大学の広報誌『リテラ・ポプリ』iiで「北大所蔵品探訪」というコラムを担当していた。3月号で紹介する作品を探して、『北大歴史散歩』iiiという本を読んでいたとき、農学部博物館の紹介のところで、高橋由一作と伝えられる油絵「鮭」の小さな挿図が目にとまった。私自身それまでこの博物館に絵画があることは知らなかったので、さっそく博物館の加藤克氏に連絡し見せてもらうことにした。作品自体は、後述するように由一の真作とは考えにくいものだったが、この折に博物館所蔵絵画の一端に触れ、いずれまとめて見せてもらいたいと考えた。
新年度になり、文学研究科でプロジェクト研究の募集が行われた。これは学際的な調査研究に対し、研究費を支給するというものである。そこで文学研究科より芸術学担当の私と北村清彦氏、それに農学部の加藤氏を加えた共同研究プロジェクトを企画・申請し、同年7月に本プロジェクトの採択が決定した。さっそく調査に着手したかったが、この年の夏には、私に海外出張が入っていたため、秋からのスタートとなった。
10月より毎週金曜日の午前中に作品の調査を行い、1月まで、計11回に及んだ。調査内容は、作品の熟覧、材質技法等の点検、計測、写真撮影である。写真は、一部リバーサルフィルムで撮ったものもあるが、ほとんどはプロジェクト研究経費で購入したデジタルカメラ(ニコンCoolPix990)によって撮影した。この間の作業には、文学研究科芸術学研究室の大学院生5名が携わった。調査した作品の点数は230点、撮影したカット数はデジカメだけで900カットに及んだ。
撮影した写真の整理は適宜行ったが、全体を分類・整理し、検討を加える作業は1月の後半から開始した。具体的には、まず調書にとった文字データを、データベースソフト「ファイルメーカーPro 5.0」に入力して管理。写真は、生データを保存した後、「Adobe Photoshop 6.0」で色調補正やトリミングなどの加工を行い、Photoshop形式とJPEG形式で保存した。以下、その分類と内容の検討の概要を記す。
2.分類
これらのうち一部の絵画は、北海道の歴史資料として紹介されたものもあるが、多くはその存在自体あまり知られていない。歴史の長さ、収蔵品の幅広さから、従来は台帳管理が曖昧であったが、近年加藤氏の努力により標本番号の打ち直しが行われていた。そのため所蔵作品は正確に把握されており、今回の調査に関しては、出されてきたものを見るだけで済んだのは幸いであった。ただ「標本番号」という名が示すように、絵画と他の資料との区別はまだはっきりとした形にはなっていない。今回は、私の判断で「絵画」という枠を切ったが、この中には典型的な絵画とは言いがたいものもあり、またここに挙げていない資料で、ある種の「図」を含むものもある。
かような現状であるため、これらの「絵画」をどう分類するかという問題も、一からのスタートとなった。まず、作品の形態から見ると、額47、画帖5、和綴本2、掛軸6、巻子6、未表装のもの164となる。未表装のものが多いのが大きな特徴である。この中には、もともとスケッチとして当初の姿を留めているもの、別の色の紙で縁取りして簡易表装のようになっているもの、絵の部分だけ切り抜かれたと思われるもの、一度額などに貼った後に剥がされたと思われるものなど、様々な状態のものが含まれる。大きなものは長期間丸めて保存されていたため、巻ぐせがついている。概して保存状態は悪く、カビによるシミ、埃による汚れ、水がしみた跡などが多く見られる。状態の悪い作品は額装されたものにも見られ、額縁が取れているものiv、本紙が破れているものもある。
制作年代から見ると、一部に日本の江戸時代のものや外国で制作されたものもあるが、日本の近代、特に明治時代のものが大半を占める。明治前期のものが多く残っていることは、博物館の歴史から見ると、設立当初からのものが現存しているということで非常に興味深い。が、その反面、それ以後絵画を継続して収集していないということでもある。
描かれた内容を見ていくと、その内容とはおおまかに分けると次のようになる。
1) 動植物を描いたもの
2) 北海道の自然・風景を描いたもの
3) アイヌの風俗を描いたもの
4) その他
数の上では、1) が断然多い。形態や制作年代、画の様式も多様である。2)は、数はそれほど多くないが、歴史資料として貴重なものが多く、いくつかは既に北海道の歴史に関する文献に紹介されている。3)は、幕末明治にさかのぼるものと、比較的新しく模写されたものがある。4)は1)~3)に分類できないもので、書、南画、漁業関係の図などが含まれる。
以上の点を勘案し、本報告書では描かれた内容を中心とした分類を試みた(下記分類表)。表の順番にそってそれぞれの作品に番号を振った。本報告書ではこれを図版番号と呼ぶ。画帖のように1点の中に多数の作品を含むものには枝番を振った。図版番号は作品目録の番号と一致する。以下、大まかな分類に従って、作品の概要を述べたい。
農学部博物館所蔵絵画分類表
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分類
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図版番号
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1.博物画
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近世
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1-2
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近代
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3-162
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外国
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166-202
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2.風景画
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203-210
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3.アイヌ絵
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211-219
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4.その他
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220-230
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3.博物画
今日、美術史の区分では、花や鳥をはじめとする生き物を描いたものは「花鳥画」と呼んでいる。しかし農学部博物館に所蔵される作品は、鑑賞用の花鳥画というより、生物の生態を伝えるための記録・展示用として制作されたものが大半なので、博物学・博物館のための絵画「博物画」という呼称を用いることとした。
今回調査した博物画は、まず制作年・制作地から大まかに見ると近世、近代、外国の3つのグループに分かれる。
近世のものである、「鷹の符名之巻」<1(図版番号。以下同じ)> vは、元禄6年(1693)の年記を有する最も古い作品である。鷹は、戦国時代から江戸時代を通じ、鷹狩を嗜む武将に愛好されたvi。止まり木に繋がれた「架鷹図」が17世紀には曽我派らの絵師により数多く描かれた。これらは、それぞれの鷹の羽の模様の違いがわかるように描かれており、狩りをする能力だけでなく、その姿の美しさに大きな関心が払われていたことがわかる。「鷹の符名之巻」は19羽の鷹が描かれ、それぞれに「時雨符」「霰符」など鷹の斑の模様に従った名称が記されている。巻末には「右條々符之名如此也 能々可心得者也 可秘々々」という文言と、小笠原康庵入道ら6名の署名、年記、吉川七右衛門への宛名がある。これらの人物についての調査は今後の課題であるが、本作品がある種の秘伝書のようなものであったということは疑いない。
「鳴賞院鳥子帖」<2>は、肉筆の鳥類図譜である。本作品には見返しが2枚付いており、一方は天明元年(1781)、もう一方は慶長4年(1868)の年記がある。写し崩れの目立つ画風から見て、天明元年の原本を慶長4年に写したものではないかと思われる。ただ、「駝鳥(実際はヒクイドリ)」の図に「天明年中紅毛渡」という、天明元年の書としては不審な書き込みもあるので、慶長4年にかけて増補されていったものかもしれない。江戸時代中期から後期にかけて発達した博物図譜の系譜に連なるもので、インコ、ヒクイドリなど、外来の新奇な鳥を中心に集めている。南方、西方の鳥が多い中で、エトピリカの図に「奥州外ノ濱ノ産 此鳥蝦夷ヨリ来」とあるのが興味深い。
「Zoographia Rosso-Asiatica」<166>~<202> viiは唯一、外国で制作されたものである。名前から見て、ロシアとアジアの動物図譜であると思われる。加藤氏の論文に述べられているように、本来は大学の図書として購入され、一組の出版物として登録されている。ところが、実際の作品を見ると不審な点が多い。文字が書き込まれた下書きのような墨一色の図がある<172>。1枚だけ銅版ではない肉筆のものが混ざっている<195>。色刷りのものはどこにも動物名が記されていない。これらのことは、図鑑の制作過程の資料ではないかと思わせるものである。オンラインの蔵書検索により東大理学部に同じ書名の図書が確認できることから、今後そちらの調査も含めた検討を要する。
博物画(近代)細分類表
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作品
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図版番号
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様式
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形態
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史料に記載※
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鳥類画帖
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3-4
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A
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絵を台紙に貼り付けた画帖、学名の題箋あり
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なし
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博物画(鳥類)
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5-22
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A
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縁付き一枚物、学名の題箋あり
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なし
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博物画(鳥類)
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23-46
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A
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切り抜きを貼り付けた額 額装は昭和期か
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なし
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博物画
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47-51
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D
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当初と思われる額 全面描き込み
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あり
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博物画(鳥類)
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52-56
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D
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当初と思われる額 切り抜きを貼り付け
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あり
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博物画
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57-81
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D
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未表装
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あり
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博物画帖類
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82-84
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B
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本紙を貼りつないだ画帖
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あり
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博物画
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85-158
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C
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未表装
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あり
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博物画
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159-160,164
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その他
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未表装
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あり
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博物画
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161-162,163,165
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その他
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額装と未表装
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なし
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※「博物場引渡目録」「博物場農学校轉轄書類」
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加藤論文参照
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近代の博物画は、上の表の通り、多様な形態と様式が混在する。この中で明らかに1つのグループをなすのが、「鳥類画帖」<3>~<4>、博物画<5>~<22>、<23>~<46>である。<3><4>と<5>~<22>は画帖と一枚物の違いはあるが、学名を記した題箋を付す点が共通している。<23>~<46>には題箋はないが、<5>~<22>と、画の様式上明らかな共通性がある。おそらく<5>~<22>の状態のものから図の部分のみ切り抜いて額装したものが<23>~<46>であると考えられる。これらをまとめてA様式と呼ぶことにする。A様式の作品は、いずれも細部まで非常に丁寧に作り込まれている。全体の構図、鳥のポーズ、背景の描写に至るまで一点一点に工夫が見られる点も大きな特徴である。細かく見ると、A様式の中でも作風は一様ではなく、彩色の薄いものと濃いもの、日本画風の表現が強いものと西洋画風の強いものなどに分かれている。作者は少なくとも3名はいると思われる。
「博物画帖」<82>、「魚類画帖」<83>、「鳥類画帖」<84>も、ほぼ共通する画風で作られている。図の多くに、種名、日付、写した場所等のデータが付されている。基本的に開拓使時代に札幌で写生した図を集めたものであることがわかる。表に貼られたシールから、<83><84>は明治9年、<82>は明治10年の作と見られる。画風は狩野派を基本とする日本画の技法である。といっても本格的な日本画家のそれではなく、拙さが目立つ。近代の他の博物画とは毛色が異なり、技法的にはむしろ近世の「鳴賞院鳥子帖」<2>の方が近い。これをB様式と呼ぶ。A様式の作品が展示用と見られるのに対し、B様式の作品は、記録用としての性格が強いと思われる。
「博物画」<85>~<158>も、画帖にまとめられてはいないが一連のものである。厚手の紙に描かれ、裏に制作年(明治13~15年)と産地を示すシールと、種名、日付の書き込みが見られる。これもB様式のものと同様、札幌の開拓使で制作されたものと考えられる。ただ作風の面では、西洋画風の細密描写や陰影表現が採り入れられている。樹木や岩の描法には日本画的な癖が強いが、周囲をぼかす技法など、近代の博物画らしい特徴を備える。これをC様式と呼ぶ。明治9-10年頃までB様式で行われた記録の仕事を、新しい技術を持った一人の画家によって引き継がれたのがこれらC様式の作品と解釈できる。なお、この画家はA様式の作品にも参加している可能性がある。
「博物画」<57>~<81>は、C様式と似て厚手の紙で、裏面に制作年を示すシールが貼られている。シールの年代は明治13年viiiで、C様式と重なっている。あるいはこれもC様式に含めるべきかもしれないが、絵の作風はC様式よりやや拙く、かつばらつきがある。そこでこれらをD様式としたい。基本的には、A、C同様、日本画と西洋画の折衷的な画風を見せる。現在額装されている「博物画」<52>~<56>もこれらを貼り付けたものであろう。なお、残りの<47>~<51>は、背景を密に描き込み博物画というより花鳥画に近く、作者も一人とは限らないが、大筋ではD様式に近いものと思われる。残りの作品<159>~<165>は、さらに作風が異なり、大きなまとまりに含めにくいため、その他の様式としておきたい。
4.風景画
風景画では、船越長善の作品がまず注目される。「北郡田名部山水真景画譜」<203>、「札幌近郊の墨絵」<204>~<205>は、いずれも長善自身がスケッチした風景をまとめたもの。特に「札幌近郊の墨絵」は、明治初期の北海道の風景を知る上でまたとない資料といえる。「明治6年札幌市街の真景」<206>も長善の作品と伝えられてきたものだが、作品自体には落款はなく、裏書き等もない。長善の作品に特徴的に見られる、側筆を使用した四条派的筆法が見られないことからも、この作品の筆者については再考を要する。なお、船越長善については白石恵理氏が後の論文で概説を行っている。
「石狩川河口の鮭漁の図」<207>、「小樽高嶋鰊漁の図」<208>は、明治初期の漁業の様子を克明に描いた作品。作者を示す書き込みはないが、両者は同筆である。全体の色の感じや、岩の皴法は、博物画のC様式またはD様式に近いものが感じられ、開拓使時代に札幌で活躍した画家の存在が想定される。ただし全体に絵具は薄塗りで、紙自体が赤茶色に焼けているため、本来の画趣を著しく損なっている。
5.アイヌ絵 アイヌ絵という言葉は一般には江戸時代から明治時代にかけて、アイヌの風俗を描いたものをさす。あたかもアイヌによって描かれた絵であるような誤解を招きやすく、その使用は議論の分かれるところであるが、他にこれを一言で表すものがないため、ここではアイヌ絵として述べる。北大では付属図書館の北方資料室に多くのアイヌ絵が所蔵されていることが知られている。加藤氏の論文でも指摘されている通り、アイヌ絵がコレクションされたのは、農学部博物館の歴史の中では比較的新しいようである。
「蝦夷島奇観 天・地・人」<211>~<213>は、江戸時代中期の蝦夷風俗誌として名高い、村上島之允「蝦夷島奇観」(寛政12年(1800)、東京国立博物館蔵)の模写である。「蝦夷島奇観」の模写は非常に多く、質的にもピンからキリまである。<211>~<213>は、東京国立博物館本と比較すると形の崩れが目立ち、精細な模写とはいい難い。幕末・明治期のものと思われる。
「マレツポニテ鮭突ク之図」<215>は、江戸後期のアイヌ絵師平沢屏山の「蝦夷風俗十二ヶ月図」(天理大学付属図書館ほか分蔵)の九月「マレク漁」の模写。「マレツポ(マレク)」とは人物が手に持つ銛のこと。これもかなり粗い描写で、時代は屏山が没した明治9年よりさらに後だろう。
「アイヌ鹿狩図」<214>は、今のところこの原画に相当するものは見出していない。動きのある描写で、筆もよく走っており、写し重ねた絵に見られる固さは感じられない。印2顆を押すが、作者は不明である。幕末・明治期のものと思われる。紙の変色が激しいのが惜しまれる。
「アイヌ絵」<216>~<219>は、「蝦夷島奇観」の部分をそれぞれ拡大して描いたもの。ポスターカラーのような新しい絵具で描かれている。おそらく昭和になってから展示用に作られたものと思われる。
6.その他
上記の分類に収まらないものを、さしあたり「その他」としてまとめた。油彩画は鑑賞画的性格が強いので、動物が描いてあってもこちらにまとめて入れることとした。主なもののみ簡単に触れておく。
「バチェラー肖像」<220>は、イギリス人宣教師、ジョン・バチェラー(1854-1944)の肖像画で、本格的な油彩による作品。老境の姿を描いていることから、制作も昭和に入ってからのものと思われる。バチェラー記念館には、このほか彼が使用していた家具類も保存されている。ix
「鮭」<221>は、荒縄で吊され身を半分現す構図から、初期洋画の金字塔、高橋由一(1828-94)の「鮭」を想起させる。そのため農学部博物館でもかつては高橋由一の作とされていたx。由一は東京芸大本のほかにも「鮭」を複数描いている。本作品に近いのは「日本橋中洲町」云々と書かれた荷符をつけた個人蔵本の「鮭」(明治12,3年頃)である。東京芸大本と比べて、・サイズが小さいこと、・紙ではなく板に描かれていること、・鮭が黒みを帯びていること、・腹から尾にかけての身を削いでいること、という4つの特徴が本作品と合致するxi。由一の追随者による類似の「鮭」も多いが、その多くは東京芸大本を写している。本作品は、前記個人蔵本にならった珍しいものといえる。制作年の推定は難しいが、明治期のものと考えたい。
「牧馬之護衛」<222>は、馬の群を襲うエゾオオカミに白馬が立ち向かう場面が描かれている。画面には作者根岸錬吉のサインと1906という制作年が記され、額の裏には、作者本人によって明治39年(1906)に札幌農学校に寄贈する旨が記されている。
7.農学部博物館所蔵絵画の美術史的意義
以上、ごく簡単ではあるが、農学部博物館の所蔵絵画を概観した。美術品として現代の市場価値を計るなら、はっきり言ってそれほどめざましいものはない。しかし作品の価値は、どのような観点から見るかで全然違ったものになる。私が特に興味を引かれたのは博物画の数々である。本来、物の姿を正確に再現することが要求される博物画であるが、真写への意欲に満ちて制作された図は、いつの時代も絵画として十分鑑賞に堪える物となる。西洋では18世紀から19世紀に豪華な博物図譜が競って制作された。そのような昔の博物図譜が、美術として見直されたのは、日本では80年代後半から90年代前半にかけてである。荒俣宏をはじめとして、博物図譜を紹介する図書の刊行が相次いだxii。また江戸時代中期から後期にかけて大名を中心に作られた図譜類も、日本の博物図譜として、折からの江戸ブームと重なり、様々なかたちで紹介されるようになったxiii。博物図譜の面白さは、単に正確に描かれていることだけではない。その時代になし得る最高の技術が投入されていることが最も肝要である。その点さえ押さえてあれば、むしろ正確さ以外の余分な要素は、その作品独自の味わいとして、プラスに働くのである。
農学部博物館の博物画のうち、最も優れていると思われるのはA様式の一群である。非常に丁寧な仕事をしてある画帖<3> <4>もよいが、それ以上に驚くのは、大きな鳥を実物大に迫る大きな画面に描いた<5>~<22>、<23>~<46>の諸作品である。すべてを実物大で再現したという、西洋の鳥類画譜最高傑作の一つ、オーデュボン『アメリカの鳥類』xivを思い出させる仕様である。画風的にも、日本画の良質な技術と、西洋の博物画の正確さが高い次元で結びついている。江戸時代の博物図譜、西洋の博物図譜、明治の日本画、それぞれの要素を含みながら、いずれとも異なる独特な位置を占めているxv。明治初期に、開拓使という政府の機関が、北海道の開発という重要な国策のために、西洋の知識を積極的に採り入れながら制作したのが本作品である。日本の博物学史上、重要な位置を占めることは疑いを容れない。先の博物書ブームでは明治日本の博物図譜が紹介されることはほとんどなかった。単にこの時代を代表する作品が知られていないだけなのだろうか。また、これほどの作品でありながら、作者についての直接的情報が今のところ見出されていないのは、非常に惜しい。今後さらに詳しい調査を行うとともに、同時代の他の作品を調べることで、明治の博物画の全体像の中に位置付けることが必要である。
注
i 農学部博物館の概要については下記ウェブサイト参照。
http://www.agr.hokudai.ac.jp/muse/
ii 田島達也「北大所蔵品探訪 『鮭』」(『季刊 リテラ・ポプリ』3 北海道大学広報委員会 2000年)。http://www.hokudai.ac.jp/bureau/populi/edition03/index.html
iii 岩沢健蔵『北大歴史散歩』(北海道大学図書刊行会 1986年)。
iv 【7166】(図版52)、【33456】(図版48)は、図版ではわからないが、額縁が失われている。なお貼り付けられた板の仕様から、【7166】(図版52)は【33345】(図版53)と、【33456】(図版48)は【33459】(図版49)、【33460】(図版50)とそれぞれ同じ額縁が付いていたと見られる。
v 一般に「符」は「斑」とするのが正しいが、ここでは作品の本紙画面右端に記された名称「鷹ノ符名之巻」によった。
vi 鷹狩自体は『日本書紀』に記録が見えるほど古い歴史があるが、広く流行することとなったのが戦国時代であり、江戸時代には一つの制度にまで高められた。
vii 作品中にはこのような名称は見いだせない。ここでは図書として登録された際の名称を使用した。
viii シールの付いていないものもある。なお、この一群には四隅をピンで留めた穴があいているものが多く、このまま展示に使用されたことがあるらしい。
ix 博物館の隣にあり、現在は収蔵庫として使用され、一般には公開されていない。
x 額の裏には次のような書き込みがある。
「1956 再確認(芸大偶元教授) 高橋由一作『鮭』 1956年修理」
xi 本作品は板の上にさらに木目を絵具で描いている。
xii 荒俣宏『大博物学時代』(工作舎 1982年)
荒俣宏『図鑑の博物誌』(リブロポート 1984年、増補版 集英社 1993年)
荒俣宏『世界大博物図鑑』1~5、別巻2(平凡社 1987-95年) など
xiii 博物図譜を中心としたものでは次のようなものがある。
『江戸の動植物図』(朝日新聞社 1988)
『彩色 江戸博物学集成』(平凡社 1994年)
『自然と人間の日本史1 魚の日本史』(別冊歴史読本特別号 新人物往来社 1995年)
『自然と人間の日本史2 花の日本史』(別冊歴史読本特別号 新人物往来社 1995年)
『自然と人間の日本史3 鳥の日本史』(別冊歴史読本特別号 新人物往来社 1995年)
美術との関わりでは、次の文献が重要であろう。
今橋理子『江戸の花鳥画―博物学をめぐる文化とその表象』(スカイドア 1995年)
内山淳一『江戸の好奇心』(講談社 1996年)
xiv Jhon James Audubon, The Birds of America, 1827-38
下記は原本を縮小して復刻したもの。
The original watercolor paintings by John James Audubon for The birds of America, New York : American Heritage Pub. Co./Bonanza Books : Distributed by Crown Publishers, 1984
xv 前掲書(reproduction)のイントロダクションの中で、Marshall Davidsonは、オーデュボンの生動感あふれる鳥の描写と、西洋の博物図譜よりも日本や中国の花鳥画との類似を指摘している。西洋の博物画は東洋の花鳥画を学ぶことで、剥製的な姿からより生き物らしい表現を手に入れた。A様式の博物画は、西洋の博物画に学ぶことで、よりリアルな質感と、やや大げさな背景描写を取り入れている。このような相互作用が作品を魅力的にしていると思われる。しだいに個性を失っていく近代の博物画の中で、明治初期のこれらの作品の重要性は改めて注目する必要があろう。
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